ムクドリレコード

やくたいもない

『みぞれちゃん』『ちはやふる』と「性的消費」のこと

「女の子が性的消費されないアニメ」

というお題ではてブがワイワイしているのを眺めている。

 

そういや、最近アプリのはてブを見てるとよく出てくる『とけだせ!みぞれちゃん』という漫画が、とても面白くてかわいいので更新を楽しみに読んでいるのだが、

あの絵の色っぽさというか女性の身体の描きかたはかなり性的だよなと思っている。服の露出度もそうだし、脚のラインの描きかた、トーンを駆使した身体の陰影。

みぞれ、リン、こはる、ちかげというキャラクターの散らばしかたもそうだし、ころころとした子どもキャラであるひまり、やくもの描きかたにさえ、作画上の性的魅力へのこだわりを強く感じる。

登場人物はみんな女性で、彼女たちは登場人物の誰にも性的な目で見られない。

互いの容姿について品評するような台詞が出たことも一度もない。

しかし、すぐれた作画がその肌の柔らかさを伝え、彼女たちの性的魅力を読者に伝える。

それは同時に、私にとっては作品それ自体の魅力でもある。性的に魅力的な女の子というのは、女性が性的対象でない私にとっても魅力的だ。

 

私は『ちはやふる』が好きなんだけれど、女性作家が女性に向けて描いた少女漫画で、メインはかるたの戦いで、少女と少年の恋でさえまず間にかるたをおいて描かれるあの作品において、

主人公の綾瀬千早が「モデル並の美少女」として描かれた意味について、ときどき考えてしまう。

この物語のなかで、一体どうして千早は美しくある必要があったんだろう。

 

これについては作中で、新入生勧誘の場でのかなちゃんの台詞が物語っているように思う。

かなちゃんは新入部員を獲得するため、

(競技かるたという競技の特殊性は押し出さず)「見た目にメジャー感のある部長(真島太一)と千早ちゃんを押し出す」

ということをいう。

ここで恐らく比較されているのは競技かるたのマイナー感だろう。マイナーな競技に打ち込む子だからこそ、彼らの外見は「メジャー」である必要がある。

ここで「メジャー」と示されている感覚と、性的魅力は決して切り離せないものだと私は思う。

スクールカーストの上位に位置する力。

後輩たちに一目で憧れられるに足る力。

その「強さ」みたいなものの構成要素のひとつとして、性的な魅力ーーまあ言ってしまえば「モテるかどうか」が無関係だとは思えないのだ。

 

『みぞれちゃん』に感じるような、作画上の性的魅力への拘りは『ちはやふる』には感じない。

しかし、作中においてその性的魅力に明示的に言及され、利用さえするのはむしろ『ちはやふる』だ。

(余談だが、同じかるた部の男子は「どうせ付き合うなら優しくておっぱいの大きいかなちゃんがいい」とこっそりと(おまけ漫画のなかで)話し合う。

  また、かなちゃんは他校の男子に「おっぱいちゃん」などと呼ばれ憤慨するというくだりもある。

  かなちゃんもまた性的魅力に言及される存在だ)

 

アニメをめぐって今はてブでは「性的消費」という言葉が飛び交っている(が、正確な定義のない言葉なのでちょっと扱いに困る)。

仮に、「本人が望まない/意識しないところで、性的魅力に言及される」こととするならば、

『みぞれちゃん』は読者に、『ちはやふる』は作中人物に、どちらも性的に消費されているといえるのではないか。

 

『みぞれちゃん』の方は「作中ではそんなこと一言もいってない、性的魅力を感じるのはお前の感性の問題だ」という強弁は成り立ってしまうかもしれない。

これは半分まではそのとおりで、「性的消費」の有無は結局読者の内面にとどめられる。

(ちなみにもう半分は、「とはいえあんなに魅力的な描線に意図と努力がねーわけねーだろ」である)

この作品を「性的消費」もしている主体として、私は存在している。

 

ちはやふる』の方は明示的に彼女たちの性的魅力について語られている。

彼女たちはしばしば、登場人物に明らかに「性的消費」される。

しかし同時に彼女の性的魅力は、競技かるたというマイナー競技に打ち込んでも「メジャー」でいられる強さにも繋がっている。

千早というキャラクターは彼女のもつ「性的魅力」を内包して成り立っているのではないかと思う。

千早自身は、己の性的魅力についてはまったく無頓着な「残念美人」と描かれ、それが彼女の奔放な振る舞いのエクスキューズになっているけれど。

 

女の子が「性的消費」されていない作品、と問われたとき、私は直感的に、『ちはやふる』はされていない、『みぞれちゃん』はされてるな、と思う。

けれど性的魅力の描きかたとしては、実はアングルが違うだけのような気もする。

「性的消費」の肯定という考え方からいうなら、明示的に性的魅力を描き利用しているぶん『ちはやふる』の方が露骨とさえ言えてしまうのかもしれない。

 

現実の人間については本人の意思というものがあるからまた別ではあるが、

創作物のキャラクターの「性的消費」というのは、単純な定義では話しにくい問題だな、と思う。

そこには、「私」がその作品から何を受けとるか、という問題が常について回るからである。

 

ただ、こんな風に言ってるけれど、

「数多いる女の子が必ず主人公に好意を持っていて、なかでも正ヒロインにあたる子は第1話で主人公に全裸を見られてしまい、温泉回や水着回はノルマのように用意されていてストーリーのなかで女の子の胸やおしりを映すことに労力を注いでいる作品」

についてはたぶんノータイムで「いや性的消費してますよね」といってしまうと思う。

 

この辺、私は腐女子である関係上「男性キャラの性的消費」の話をした方がしやすいので

次回に続く。

 

 

 

しゅみはインターネットです

たぶん私の趣味はインターネットである。
インターネットで何かをするというより、ただインターネットに繋がっていることが好きなんではないかと思う。
そんないみのわからないことがあるか、とも思うが、そうなんだから仕方がない。

ひたすらチャットに入り浸っていた時期もあったし、
ほとんどの時間を2ちゃんねるに費やしていた時期もあったし、
お絵描き掲示板やお絵描きチャットに血道をあげていたことも、
Twitterでひたすら友達とリプライを飛ばしあっていた時期も、
人狼TRPGをしていた時期もある。
最近ははてブにやたらめったら書き込んで、世間のニュースにいっちょかみしたりしている。

こう並べてみると、わりとインターネットで会話をすることに重きをおいているような気がする。
ただ、この会話というのは相手にひどく依存する楽しみだ。
煽られてむかっとして「顔真っ赤」にさてあれこれ書いてしまうときもあって、あれはずいぶん不健全な過ごし方だ。
時間をたっぷり使うわりに、後で読み返したりもしない。
あぶくみたいに無心にスマホに書き散らかしている。

私の趣味はインターネットである。
会話に重きをおきがちだけど、ちょっと、人ではなくて壁に向かって話す時間を作ってみようかと思い、ブログを作ってみた次第である。
インターネットは、壁に向かってするような話を、ときどき誰かが聞いてくれるから好きなんだと思う。
そして、誰かが壁に向かってするような話を聞けるところが好きなのだ。

なんとなくふわふわ繋がりながら、どこにかいたっていいような話をしようと思う。